セネガルからやってきた
ずっと探していたアフリカンバスケット。
ネットとかではあるけど、実際みて買いたい。
先日ふらっと行ったチャイナタウンにあるアクセサリー屋さんで、
出会っちゃった♡
フェアトレードという形でアフリカから輸入されたバスケット
このバスケットはセネガルのWolof族という西アフリカの民族の人々が作っていて、" Wolof Basket" とも呼ばれています。ストライプの部分は prayer matやrugをリサイクルして作られてます。
セネガル
セネガル共和国、通称セネガル。西アフリカ、サハラ砂漠西南端に位置する共和制国家。歴史は古く旧石器時代から人々が生活していたと言われています。人口の95%以上がイスラム教徒です。15世紀半ばに、ポルトガル人がヨーロッパ人として初めてセネガルを訪問したことを皮切りに、1848年に奴隷制度が廃止されるまで、セネガルは西アフリカにおける奴隷貿易の拠点の一つとして機能しました。その拠点となっていたのが ゴレ島。
負の世界遺産・ゴレ島
ユネスコの世界遺産に登録されているゴレ島はダカールの沖合い約3kmに浮かぶ東西300m、南北900mの小さな島。かつては奴隷貿易の拠点として栄えました。現在も島内には奴隷収容所が残っており、負の世界遺産としてたくさんの観光客が訪れます。ピンクの建物がたっているその小さな島に連れてこられた人々は家族ともバラバラにされ、船にギュウギュウに押し込められ、長い船旅で病気、飢えと沢山の人が船の上で亡くなったそうです。これが16世紀中頃からはじまる「三角貿易」。ヨーロッパから綿布や酒、鉄砲などをアフリカ西海岸へと運んで黒人奴隷と交換します。次に黒人奴隷をアメリカ大陸へと運び、今度は奴隷たちを砂糖や綿花、タバコといった現地で栽培された原材料と交換します。そして、それらの原材料をヨーロッパへと運び、商品にして世界中に売るのです。これが奴隷制度のはじまり。今現在アメリカに住んでいるアフリカン・アメリカンと言われる人たちの悲しいルーツ。彼らのほとんどは自分のルーツをしりません。どこの国から誰ときたのか。ただ一つ彼らが知っている事、それは彼らのひいひいひいひいおじいちゃん、おばあちゃんが、アフリカから奴隷として連れてこられた事だけ。自分の祖国へ帰りたくても帰れない人が沢山います。
Wolof族
セネガル、ガンビア、モーリタニアに居住する西スーダン系の民族。セネガルでは、総全人口の約40%の多数を占め、また、北部サンルイ、中部カオラック、西部ダカールにおいても多数派である。
私のお友達がセネガルに留学していて、毎日インスタで素敵な写真を載せています。
セネガルでキラキラ輝いている彼女。
彼女はセネガルの人はいい人ばかり、遊びに来れたらセネガルで会おう!って言ってくれました。
セネガル。
何があるかわからないけど、何かある気がする。
私の "Bucket List"
アフリカに行く。
うん、絶対いこー♪
セネガルからきたバスケット
遠い異国の地を思って。
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